CONCEPT
日本の伝統彫刻は大きく分けると、仏像彫刻と楼閣建築の装飾をする宮彫とに分けられる。宮彫は神社・仏閣などで普段生活の中で何気なく目にすることがあるが、以外にもその知名度は低いといえます。
宮彫は安土桃山時代から欄間などで見られるようになり、江戸前期で確立されたもので、その代表的な建造物に日光東照宮が掲げられる。
神社・仏閣などの建物の外回りだけでなく回廊や欄間などの室内空間部分にも施され木を立体的に彫刻して表現する。当初、宮大工が簡単な渦や模様の飾りを彫ることから派生して彫刻部分も発展し、宮大工と彫刻専門の宮彫師が分かれ専門的になりますが、江戸から明治には宮大工と宮彫りの今でいう二刀流を手掛ける職人も多数いました。
日光東照宮を建設するにあたり大阪泉州貝塚より岸上家の職人が派遣され携わり出身地である「和泉」を名乗り作事しておられるのは知るところである。
江戸時代から明治・大正と大阪市内には、神社・仏閣・仏壇・檀尻等の仕事をこなす職人が集まっており、中川・岸上・草花・花岡・池田・小松・高松・相野・前田・黒田等の姓の職人が居り、彼らには各々弟子が居たであろうことは想像に難くない。その弟子筋が現在でも岸和田の地車彫刻師等に繋がっている。それら装飾彫刻を手掛ける職人は、書物に登場する機会も少なく埋もれた職人であるが、技術は一流の技を見せつけていて多くの作品が今に残っている。
後、富山県井波町(現南砺市)の瑞泉寺再建に京都から派遣された彫刻師が地元の大工に彫刻を伝授して派生した井波彫刻師も木彫りを語る上で忘れてはならない彫刻師が多数いる。
井波彫刻師の中には、戦後芸術性を求めて展覧会に出品する人も多数現れている。
そして、今の木彫を芸術の域まで押し上げたのは、仏師の流れを汲む高村光雲であろう。光雲は、多数の弟子を養成して切れ味鋭い見事な作品を世に送り出した。その流れを汲む彫刻師の作品は現在でも残っていますが、一部の光雲の弟子を除いて腕は一流であるがまだまだ認知度が低いという状況です。
それら宮彫りと井波彫刻師、そして光雲の流れを汲む彫刻師に焦点を当て、腕は一流であるがまだまだ認知度の低い彫刻師を中心に作品を求めて、埋もれた彫刻師の作品を発掘し、その知名度を上げることをコンセプトとして「日本の木彫」を広めていこうと思っています。
Wood Stock Japan
代表 花内友樹