PROFILE
花内友樹
略歴
昭和36年4月3日、 泉大津市生まれ
昭和61年 追手門学院大学 経済学部 経営学科卒業
々 株式会社 古賀屋入社(インポートアパレル営業)
平成9年 3代目川原和夫師が発行された『川原啓秀木彫集』を手伝う
平成23年 日本自費出版文化賞 特別賞受賞
同年 泉大津市より『泉大津濱八町地車禮讃』出版に対して表彰を受ける
平成24年1月31日 株式会社 古賀屋退社
平成26年6月 Wood Stock Japanを立ち上げる
令和2年12月10日 古物商許可証取得
令和3年より 本格的に木彫を中心とした美術品の販売を手掛け始める
昭和41年(1966)、5歳の時ちょうど幼稚園へ通う前であったが、泉大津市助松町より数km離れた現在の同市高津町へと引っ越してきた。
小学校4年の時、友達に誘われ10月4日、5日の祭礼日に地車を一緒に曳いた時以来祭りの虜になってしまった。地車を見ていると「この彫物誰が彫ったんやろ?」と思うようになったのはその頃で、時が流れて高校生なり青年団に入った時、町の長老より「あのだんじり(泉大津濱八町上之町)は川原と開が彫ったんや」と耳にするようになり、その時以後「どの部分を川原さんが彫って、どの部分を開さんが彫ったんやろ」という新たな疑問が沸き始めた。ただ、大屋根虹梁に「神戸 川原作」、大脇左平に「神戸 川原刀 花押」の刻みと小屋根懸魚「五条大橋の出会い」の下底面に「淡路 開生珉作」の墨書きが当時はまだはっきり残っていたので、拝懸魚は開生珉師の作という認識は早くからあったように思う。
その後、地車の彫物への興味が日増しに高まり、特に自町の彫物師に対する関心は強く、昭和56年(20歳)より川原啓秀師の作品を追いかけるようになりました。
平成9年(1997)に3代目川原和夫師が発行された『川原啓秀木彫集』ではその編集段階で手伝うまでになり、さらにまずは地元からということで、平成22年(2010)には『泉大津濱八町地車禮讃』を自らも発刊した。
そして、自町の上之町地車新調の製作委員としての役に約十年を費やし、令和元年5月に無事入魂式を迎えることが出来た。
昭和56年、20歳の時から特に川原啓秀に興味を抱き、その当時存命の直弟子の方々から色々なお話しを伺ったことは今では宝となっている。
また、地車(だんじり)に携わった彫刻師には特に興味があり、現在でも全般に調査、研究しているが、それらの彫刻師(当時の職人)に関しては書物等が少なく自身の目で確認するしか手段がなく、早42年目になるが解からないことで一杯である。